リベリア の エドウィンさん
2003年7月13日どうしてるかしら? 元気かなぁ
というか
実のところは 生きているのかさえも
消息がつかめずに
ここ数年が過ぎている。
彼 エドウィン・テッテさんは
リベリア(西アフリカの小さな国。最近ニュースで流れる事が多くなった。内戦が14年つづいている)
の国からの留学生で金沢大学で勉強していた。
そのころ
友達をかいして知り合った。
アパートが私の家の近くだったことからよく家に遊びに来ていた。
経済学部で勉強していた彼は
「大学のディプロマ(卒業証書)を手にしたら国に帰って 役に立てる。その為に日本に勉強しに来た」
とよく言っていた。
酒好きで 政治の話が好きで わたしの主人と気が合い
ふたりでよく 政治の話でもりあがったりしていた。
大学3年のときだったかしら・・・
リベリアで 内戦がはじまってしまった。
彼は日本とリベリアからの奨学金で暮らしていたが
リベリアからの送金は当然なくなり、なんとか日本の奨学金で 卒業。
わたしたちは もう少し国の情勢が 落ち着くまで
日本にいたら ?
と進めたが
「卒業証書をもらったから 今帰らなきゃ 日本にきた意味がない」
と どうしても帰る と言い
おおきな大きなスーツケース 3個に荷物を入れて 内戦の真っ只中の 国に帰って行った。
そんな縁で
手に持ちきれなかった アパートの彼の荷物を
いずれ 送ってあげる という約束であずかることになった。
家の玄関の一角に
彼が4年間勉強した ほん ノートその他 生活用品の 荷物がまだそのままになっている。
彼が国に帰って一年くらいは 英文の手紙がきていた。
その中で分かったことは
家もなくなっていた。 奥さんもどこかの国に逃げて 住所もわからない。
手紙の住所は 首都モンロビアの郵便局の 局止め
(要するに私書箱のようなもの)
仕事もなく、
自分で事業を起こしたいので お金を少し貸して(送って欲しい)などなど。
そんな現状では 荷物も送れず、
友達として 送金を2回してあげたが
そのご 便りも 届いているのかもわからない
状態になり
音信不通になった。
最近 ニュースで リベリアの影像が映るたび
エドウィンさんを 探してしまうのである。
というか
実のところは 生きているのかさえも
消息がつかめずに
ここ数年が過ぎている。
彼 エドウィン・テッテさんは
リベリア(西アフリカの小さな国。最近ニュースで流れる事が多くなった。内戦が14年つづいている)
の国からの留学生で金沢大学で勉強していた。
そのころ
友達をかいして知り合った。
アパートが私の家の近くだったことからよく家に遊びに来ていた。
経済学部で勉強していた彼は
「大学のディプロマ(卒業証書)を手にしたら国に帰って 役に立てる。その為に日本に勉強しに来た」
とよく言っていた。
酒好きで 政治の話が好きで わたしの主人と気が合い
ふたりでよく 政治の話でもりあがったりしていた。
大学3年のときだったかしら・・・
リベリアで 内戦がはじまってしまった。
彼は日本とリベリアからの奨学金で暮らしていたが
リベリアからの送金は当然なくなり、なんとか日本の奨学金で 卒業。
わたしたちは もう少し国の情勢が 落ち着くまで
日本にいたら ?
と進めたが
「卒業証書をもらったから 今帰らなきゃ 日本にきた意味がない」
と どうしても帰る と言い
おおきな大きなスーツケース 3個に荷物を入れて 内戦の真っ只中の 国に帰って行った。
そんな縁で
手に持ちきれなかった アパートの彼の荷物を
いずれ 送ってあげる という約束であずかることになった。
家の玄関の一角に
彼が4年間勉強した ほん ノートその他 生活用品の 荷物がまだそのままになっている。
彼が国に帰って一年くらいは 英文の手紙がきていた。
その中で分かったことは
家もなくなっていた。 奥さんもどこかの国に逃げて 住所もわからない。
手紙の住所は 首都モンロビアの郵便局の 局止め
(要するに私書箱のようなもの)
仕事もなく、
自分で事業を起こしたいので お金を少し貸して(送って欲しい)などなど。
そんな現状では 荷物も送れず、
友達として 送金を2回してあげたが
そのご 便りも 届いているのかもわからない
状態になり
音信不通になった。
最近 ニュースで リベリアの影像が映るたび
エドウィンさんを 探してしまうのである。
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